コラム column






仮設暮らしの実態~松川第一仮設住宅を訪問して~

 
2014年9月20日、私たち高橋ゼミ4期生は福島県にある松川第一仮設住宅を訪れた。
松川第一仮設住宅は訪問時、113戸199人の方が暮らしていた。その113戸を五班にわけ、班長を通じて、月水金の週三回に安否確認を行っている。平均年齢が68歳と高いことからも分かるとおり、仮設住宅に住む多くはお年寄り(75歳以上の方が約70名も一人暮らしをしている)である。というのも若い世代は早い段階から別の所に引っ越し、新天地での暮らしをしているのだ。残っている方は飯舘村への帰還を考えている人が多い。

そもそも仮設住宅とはその名の通り、仮の住まいである。そのため、仮設住宅では一人暮らしの場合、4畳半の1Rと非常に狭い。2011年7月に松川第一仮設住宅ができたのだが、当初は「予定では除染が2年で終わり、ここの仮設住宅も2年で閉まる」と言われていたそうだ。しかし3年半経っても仮設住宅暮らしは続いている。「2年で帰れる(と聞いていた)から我慢していたのに。」「こんなに長く暮らすとは思ってなかった。」「1日でも早く帰りたい。」といった行政の甘い見通しに振り回される住民の言葉には重みがあった。建物の作りが簡素なため、仮設住宅内の生活ではプライバシーがないことや騒音に悩まされ、ストレスがたまり、病気に陥る方も少なくない。仮設暮らしの窮状は想像以上のものであって、聞いていて胸が痛くなった。一方で、コミュニケーションが頻繁に取れ、孤独感を感じないという良い側面をあるそうだ。様々なレクリエーションを行う「いきいきサロン」やラジオ体操の開催など、不安しかない日々の中に楽しみを求めて、仮設住宅内でも試行錯誤が行われている。実際にお話を聞いた後に仮設住宅に住む方と交流をしたのだが、スコップ三味線(言葉通り、スコップを三味線代わりに用い演奏するもの。詳しくは写真参照)の演奏時には笑い声や手拍子が青空に響き、その光景は非常に微笑ましく、楽しい一時であった。





しかし、語弊があるかもしれないが、この生活が当たり前に、日常に、なりつつあるのは喜ばしいことではない。それはすなわち、復興計画が遅れていることを意味し、元の生活からは遠ざかっている印象が拭えないからである。また、今回のお話の中で個人的に印象に残った発言がある。「思いは行政に届いてない。議員が話を聞きに来ることもない。」政治家が被災地の様子を見に来ないことは、震災に対する私たちの関心が低下しているのも原因であるのでは、と私は考える。政治家・政党は国民の関心ごとを政策の論点とするため、国民の関心が薄れているものは蔑ろにされていく。15年度末には国の集中復興期間も終わることから、東日本大震災関連のニュースはますます取り上げられることは少なくなり、国民の関心の低下はよりいっそう進んでいくだろう。しかし復興はまだまだ途中であり、非常地の中で生活する人々がいる事実がけっしてなくなることはない。言うは易く行うは難しではあるが、私たちが関心を持ち続けることが復興への力につながるのではないのだろうか。


櫻井 鐘 Kai Fukushima
多様なメディアが存在する中で、多くの人が情報を得るための拠り所としているテレビ放送に興味をもち、当ゼミに所属しております。現在は、特定の出来事におけるニュースバリューが、時間の経過によってどのように変化していくのかについて研究しています。