コラム column






「~元気と勇気のたから~ 相馬野馬追」

『福島のいいところを伝えよう』というテーマのもとで、南相馬市立太田小学校六年生の児童たちと、私たち高橋恭子ゼミ4期のゼミ生(早稲田大学 政治経済学部三年)は四つの班に分か れ、それぞれ約一分間のショートムービーをつくった。私たちが担当した班は、3人の男の子たちの班で、子供たちが題材として選んだのは「相馬野馬追」であった。恥ずかしながら、私は9月のこの合宿に参加するまで、国の重要無形民俗文化財であるこの催しについて、ほとんど何も知らなかった。

映像を撮るにあたり、私たちの班は、相馬太田神社を見学させて頂いた。相馬太田神社は、「相馬野馬追」の時に、出陣が行われる三妙見神社の一つであり、そこの宮司さんのお話を伺うことができた。「相馬野馬追」は毎年7月末の3日間にわたり、福島県南相馬市を中心に開催される伝統文化行事であり、その起源は平将門の時代、つまり千年以上前まで遡ると言われている。メイン会場は、南相馬市原町区にある雲雀ヶ原(ひばりがはら)祭場地で、1日目の宵乗り、2日目の甲冑(かっちゅう)競馬、神旗争奪戦など、祭りの目玉となる伝統の催しが繰り広げられる。雲雀ヶ原祭場地に赴く「お行列」には、約500余騎が居並び、戦国絵巻を彷彿させる光景が見られるという。



例年、約3万8千人の観客数を誇る「相馬野馬追」が、震災の年にも、相当程度規模は縮小しつつも開催されたというお話に私は驚きを隠せなかった。震災の年、各地で多くの祭典が自粛さ れる中、原発事故という深刻な問題も抱えていたこの地域で、あえて例年通りにこの行事を開催したのだ。そこには、「相馬野馬追」が、私たちの想像をはるかに超えて、地域の人々に愛され、彼らの心のよりどころになっているという確固たる事実がある。復興に向けて、人々を元気づけるシンボルになれば、という主催者側の強い願いが行事開催を実現させたのだ。

撮影のために、祭りの主要会場である雲雀ヶ原祭場地へ足を運んだ。人はほとんどおらず、広々とした原っぱが視界に入った。「野馬追の時には、ここに人が一杯になるくらい集まる」のだと少年の一人が教えてくれた。映像の最後に、三人の少年たちが「相馬野馬追」を紹介するフレーズとして、声を揃えて言ったー復興へ向ける、元気と勇気のたからーこのフレーズは、この祭りが地元の子供たち、ひいては大人たちにとって、どれほど重要な意味を持つ行事なのかを考えさせてくれる。この地域で、先祖代々大切に受け継がれてきたものを、また、この子たちが受け継いでいくと思うと、伝統の素晴らしさを実感し、胸が熱くなった。祭りで使われる、神旗や鎧、弓矢を身に着けさせてもらった少年たちの、誇らしさと照れくささの混じった笑顔はとても輝いていた。是非、「相馬野馬追」に参加し、たくさんの騎馬武者たちが闊歩している戦国時代さながらの勇ましい様子を、自分自身の目で観たいものである。


鈴木伽奈子  Kanako Suzuki
東日本大震災に関する報道の分析や復興に携わる方への取材等を通し、自分自身がどの様に復興と向き合うべきかを模索しています。 また、メディアの社会的な影響力の大きさを踏まえ、メディアと企業の関係や今後の企業のメディア対策について研究しています。