コラム column






「自分の眼で見る『福島』の現実」



2011年3月11日に起こった東日本大震災を初めて見たのはテレビだった。私は2011年8月に入隊するため、同年1月末に早稲田大学川口芸術学校を休学し、韓国に帰国した。2月か ら入隊までは、KBS放送の報道局でインターンシップをした。

3月11日の午後、静寂を破って、電話のベルが鳴った。と同時に、放送局内がざわついた。局内のモニターは急に緊急ニュースに変わった。モニターを見た私の目には、映画のような非現実的な場面が繰り広げられた。しかし、テレビで見たせいか、事態の深刻さに気づくまでは長い時間がかかった。

2014年9月20日、私は南相馬市立太田小学校との映像制作のメイキングを制作するため、政治経済学部の高橋恭子ゼミ合宿に参加した。初めて行った南相馬市。バスから見た町は綺麗 に整理され、建物も被災したとは想像できなかった。私はカメラの電源を入れ、撮影を始めた。太田小学校に到着し、小学生たちに会った。私は 彼らや学校の風景を撮ることに集中していたので、震災の影響を感じることはなかった。小学校の隣に幼稚園がある。しかし、「幼稚園に誰もいない」とある小学生は言った。それを聞いた私は、撮影のため、幼稚園に行った。そこで見たのは、私が今まで思っていた以上に衝撃的な光景だった。下の写真のように、誰ひとりいない建物。荒れた園庭。「未来がない」と思った。国や地域社会の将来には、子供は重要である。子供がいない所は、高齢化が進み、発展も望めない。



幼稚園の状況を目にした後、私は小学生一人一人の表情や道のあちこちにある放射能測定器、錆付いたシャッターが閉められた商店街など、小さな部分も逃さないように努力した。撮影を 終えて、教室を見渡した。初めて、小学校にいる子どもたちの人数が少ない事に気がついた。実際に福島まで来ても、カメラを通して見ているだけでは、韓国のテレビで震災を見ているのと何も変わらない。結局、何も見ていないのではないかと思った。多くの人はテレビで福島のことを知る。しかし、今回の合宿で、実際に行って見なければ何もつかめないと強く感じた。


金 俊佑 Kim Jon Woon
人間の価値観や生き方に深く関わる文化の問題を、個々人の嗜好ではなく社会全体の問題として考えたいと思い、文化政策の研究をしています。理念や思想といった抽象的なものから、それを現実にする実践のあり方まで、広く研究対象にしています。