コラム column






福島spirits ~いつもこの場所で~



2011年3月11日14時46分 世界中の人の脳裏に焼きつく恐ろしい災害が東北を襲った。
地震、津波、原発事故・・・
震災から刻一刻と悪化していく状況。
3月11日21時23分に菅直人総理大臣から1号機の半径3 km以内の住民に避難命令が出ることになった。
一時期は「福島」を早く収束させなければ東日本に人は住めなくなる・・・だなんて、無責任な発言に踊らされる人も多い中、福島のことを思い続ける人たちの“魂”に迫る。

【Case1三瓶明雄さん】
2000年6月4日 「僕たちの名前を日本に残そう! 日本地図に載れるか!?」という企画から始まった、皆さんご存知の「ザ!鉄腕!DASH!!」の伝説の企画「DASH村」。 TOKIOの皆さんをはじめとする、このDASHチームが地図に載せようと長年1つずつ手作りで積み上げてきた村は無残にも、福島第一原子力発電所の事故の煽りを食うことになる。 福島県浪江町津島地区だ。ここは震災から1ヶ月経った4月11日に計画的避難区域に指定され、2013年4月1日には帰還困難区域(原則立ち入り禁止)に指定された。 村に立ち入れなくなるまで、農業指導として企画を支え続けたのは、三瓶明雄さんだ。彼を知る人は、私に「明雄さんの“まだまだ”という言葉は、福島の人々の心だ」と語った。確かに、 私が以前福島の皆さんの街頭取材を行った際にも、「福島はこれから。ポジティブ福島のこれからを伝えてほしい」と言われた。

なるほど、こんなことで終わってたまるか。まだまだ。というメッセージは福島の皆さんのspiritsなのだろう。


【Case2福島の子どもたち】
私たちゼミ生は今年のゼミ合宿で、原発から20kmで最も原発に近い小学校と言われる南相馬市立太田小学校を訪れて小学校6年生のみんなと「南相馬をPRするCM」を制作した。 その時のことは他のゼミ生からも報告があるので、私はここでの忘れられないエピソードを紹介したい。

香川県出身の私が東京に上京して、小学校6年生というと「おませさん」なイメージがあったが、南相馬の純粋な子どもたちは幼き日の私たちの思い出を取り返してくれた。 突然小学校にやってきた見知らぬお兄ちゃん・お姉ちゃんたちに何のためらいもなく勢いよく距離をつめて、人間が作った無意識の壁をあっという間に超えて来る子どもたちに、元気をもらったは私たちのほうだった。あっさり虫を捕まえたり、走るのが得意だった私とかけっこをして圧勝してみせたり・・・子どもたちのパワフルさは、他でもない「福島」という土地が育んだものだと思う。
そんな無邪気な子どもたちが笑顔の裏に隠した想いを垣間見る瞬間があった。クラスに女子は2人。2人は男勝りなちゃきちゃきとした女の子だったけれど近所の他のお友達は 避難をしてしまってなかなか会えない。それを笑顔で語る彼女たちは遠い目をしていた。寂しい・・・だなんて言わない。強い子だった。


帰り際、そんな彼女がポツリと私に言った言葉。

「りっこ、もうここに永住してよ。」

初めて寂しさを帯びた彼女が発した言葉は私の心の中から一生消えないだろう。彼女は私に、もっと一緒にいたいよ、と伝えてくれた。その言葉として選んだのが「永住」である。彼女の言葉の中に、「自分はずっとこの土地で生きていくんだ」というspiritsがあった。
もう住めない、だとか無責任。
そこに“まだまだこれから”と“永住”していく人がいる。そんな気持ちを背負ってこれから私たちは日本で生きていく・・・



前場 理恵子 Rieko Maeba
地元でも身の回りの人々に支えられて育ったので、人が大好きです。だからこそ、生の声から想いの塊を伺ってそれを広められるように努力しています!また、好奇心に突き動かされるとたった1人で初めての街に街頭取材に飛び出してしまうこともあります。