コラム column

「今を笑顔で生きる南相馬の子どもたち」
今年の9月、私たち高橋恭子ゼミのメンバーは、福島県の南相馬市立太田小学校を訪れた。太田小学校は、福島第一原発から21kmの場所に位置する小学校だ。 全生徒数は53名。一学 年に10人いない学年もある。以前はもっとたくさんの生徒がいたそうだが、震災後に多くの家族が南相馬を離れたため、この人数まで 減ってしまったらしい。減ったのは小学生だけではない。近くの幼稚園は子どもが少なすぎて閉鎖してしまったため、太田小学校は今後の新入生の確保が危ぶまれている。
このような被災による問題をかかえた太田小学校だが、そこを訪れて私がまず抱いた感想は、「普通の学校だなあ」という、間の抜けたものだった。普通の校舎、 普通の授業、普通の給食、そして普通に笑っている子どもたち。それは、自分自身が過ごした小学生時代の風景と何ら変わりのないものだった。
子どもたちの様子も特に変わったところはなかった。震災を経験したからといって、特別、人に優しかったり、相手に気をつかっていたりしているわけではない。いたずらもすれば、相手の嫌がることを言ってしまうこともある。どこにでもいるような、ごく普通の子どもたちだった。もちろん、震災の存在を感じさせられることが全くなかったわけではない。校舎の脇には大きな放射能モニタリングポストが設置されていて、校庭に出ると嫌でも それが目についてしまった。また、子どもたちと会話していると、直接震災の話をしていなくても、会話の流れで自然と震災の話 題に結びついてしまうこともあった。例えば、とても仲良しの二人組に「ふたりは長い付き合いなの?」と尋ねると、「震災で一度別々の学校に移動して離ればなれになった」という話になってしまったり、学校近辺を上空から撮った写真を見ているときに「ここにはおばあちゃんの家があったんだけど、今は移動しちゃった」と言っていたり…。
子どもたちのごく普通に笑う姿を見ているからこそ、小さく漏らした一言がとても重いものに感じられたし、彼らが普通の子どもではなくて被災者だということを思い知らされた。
私は小学校を訪れる前は、そこで出会う子どもたちはきっと「かわいそうな子ども」なのだろうと思っていた。震災で心に傷を負った「かわいそうな子ども」。そういう勝手なイメージがあったのだ。しかし、小学校の訪問を終えた今、私は被災した子どもたちは決して「かわいそうな子」ではないと思っている。小学校で毎日を過ごす子どもたちの表情は、「かわいそう」という言葉とはかけはなれたものだったからだ。
写真を見てほしい。子どもたちは笑顔を輝かせている。たしかに、暗い過去の影があったり、本心では将来に対する不安があったりするのかもしれないが、少なく とも私の目には太田小学校の子どもたちが前向きに今を楽しんでいるように映った。そんな彼らの笑顔に、本来であれば元気を分けてあげる側だった私たちの方が、むしろ元気を与えられてしまったのだ。子どもというのは,私たちが思っている以上に強い存在なのかもしれない。
今年の9月、私たち高橋恭子ゼミのメンバーは、福島県の南相馬市立太田小学校を訪れた。太田小学校は、福島第一原発から21kmの場所に位置する小学校だ。 全生徒数は53名。一学 年に10人いない学年もある。以前はもっとたくさんの生徒がいたそうだが、震災後に多くの家族が南相馬を離れたため、この人数まで 減ってしまったらしい。減ったのは小学生だけではない。近くの幼稚園は子どもが少なすぎて閉鎖してしまったため、太田小学校は今後の新入生の確保が危ぶまれている。
このような被災による問題をかかえた太田小学校だが、そこを訪れて私がまず抱いた感想は、「普通の学校だなあ」という、間の抜けたものだった。普通の校舎、 普通の授業、普通の給食、そして普通に笑っている子どもたち。それは、自分自身が過ごした小学生時代の風景と何ら変わりのないものだった。
子どもたちの様子も特に変わったところはなかった。震災を経験したからといって、特別、人に優しかったり、相手に気をつかっていたりしているわけではない。いたずらもすれば、相手の嫌がることを言ってしまうこともある。どこにでもいるような、ごく普通の子どもたちだった。もちろん、震災の存在を感じさせられることが全くなかったわけではない。校舎の脇には大きな放射能モニタリングポストが設置されていて、校庭に出ると嫌でも それが目についてしまった。また、子どもたちと会話していると、直接震災の話をしていなくても、会話の流れで自然と震災の話 題に結びついてしまうこともあった。例えば、とても仲良しの二人組に「ふたりは長い付き合いなの?」と尋ねると、「震災で一度別々の学校に移動して離ればなれになった」という話になってしまったり、学校近辺を上空から撮った写真を見ているときに「ここにはおばあちゃんの家があったんだけど、今は移動しちゃった」と言っていたり…。
子どもたちのごく普通に笑う姿を見ているからこそ、小さく漏らした一言がとても重いものに感じられたし、彼らが普通の子どもではなくて被災者だということを思い知らされた。

私は小学校を訪れる前は、そこで出会う子どもたちはきっと「かわいそうな子ども」なのだろうと思っていた。震災で心に傷を負った「かわいそうな子ども」。そういう勝手なイメージがあったのだ。しかし、小学校の訪問を終えた今、私は被災した子どもたちは決して「かわいそうな子」ではないと思っている。小学校で毎日を過ごす子どもたちの表情は、「かわいそう」という言葉とはかけはなれたものだったからだ。
写真を見てほしい。子どもたちは笑顔を輝かせている。たしかに、暗い過去の影があったり、本心では将来に対する不安があったりするのかもしれないが、少なく とも私の目には太田小学校の子どもたちが前向きに今を楽しんでいるように映った。そんな彼らの笑顔に、本来であれば元気を分けてあげる側だった私たちの方が、むしろ元気を与えられてしまったのだ。子どもというのは,私たちが思っている以上に強い存在なのかもしれない。