コラム column






「現地に行ってわかること ~飯舘村の車窓から~」



合宿二日目、南相馬市の小学校で元気いっぱいの小学生たちと別れをつげた私たちは、福島 の復興に勤しむ菅野宗夫さんや佐藤健太さんと共にバスで飯舘村の各地を回りました。そしてそのバスの中から見えた光景は私の想像を大きく超えるものでした。

開けた農地に無数に積まれた黒い除染袋。これらの袋は放射能汚染土を入れるためのフレコンバッグで、至る所にこの袋によって作られた「黒いピラミッド」がありました。その一帯はとても重々しい雰囲気で、その少し前までいた小学校とはまるで別世界のようでした。

その後に帰宅困難地域に指定されている長泥地区に向かいましたが、一般の方が通行できないように道路がバリケードで封鎖されていました。震災から3年以上が経過した現在でも高い放射線量が原因で立ち入ることのできない地域があることを知り、震災の被害が未だ続いていることを痛感しました。



私は今回の高橋ゼミの合宿に参加するまで被災地を訪れたことはなく、身の回りに被災を経験した親戚や知人もいません。なので、私の被災地に対しての知識は主にテレビやパソコンの画面を通じて得られたものでした。

しかし今回の合宿で被災地を訪れて、そのような知識だけでは震災について考えるうえで明らかに不十分であることに気付きました。除染袋が大量に設置された一帯の重々しい空気や被災した方々が震災について語るときの表情など、現地に赴かなければ感じとることができないものは数多くあります。震災によって苦しめられている人がいるということを身をもって体感することは人々の震災への考え方を変えるきっかけになると思います。実際に、合宿で被災地を訪れる前と後では私の中での震災に対する認識が大きく変わりました。

自分が経験した感覚を言葉にして他人に伝えることは非常に難しいことです。私も飯舘村を走るバスの中で味わった感覚をそのまま言葉にして伝えることはできないと思います。なのでなるべく多くの人に実際に被災地を訪れて、そこで感じたことをきっかけに震災についてより深く考えるようになってほしいです。


海野尾英暁  Hideaki Kainoo
メディアが人々の嗜好や消費活動に与える影響に関心を抱いたのが、このゼミに参加するきっかけでした。現在は写真や映像などの芸術表現と報道の関連性について研究を行っています。